辞典の魅力!【じてん・の・みりょく・!】
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辞書を編む仕事
ジョン万次郎は苦労したにちがいない。アメリカ大陸の地を踏んだ初めての日本人だ。漁船が難破して米国の捕鯨船に助けられた少年は、突然、未知の言語の中に放り込まれ、日本語の〇〇〇は英語の□□□にあたるということを一つ一つ探り当てなければならなかった。
それに比べて私たちは幸せだ。先人たちが苦労して見つけてくれた日本語と英語の対応関係を辞書という形で知ることができるのだ。手探りの発見にはもちろん思い込みや見当違いもあっただろう。それゆえ、先達の遺産を受け継いだ後世の辞書編纂家は、自身の語感を研ぎ澄まし、対応を検証し直す地道な作業を続ける使命を負っている。辞書が紙から電子媒体に移っても、そこは変わらない。
私がその任に適うかどうかはともかく、辞書の仕事にご縁があり、何冊かの英和辞典に加えて和英辞典の編集にも係わらせて頂いた。少し前になるが、連載中の新聞にその時の経験を書こうと思い立ち、準備のために昔の辞書を所蔵する図書館をいくつか巡ったことがある。
最初の和英辞典『和英語林集成』が生まれたのは慶応3年、坂本竜馬が京都で暗殺される半年ほど前のことだ。編者は平文先生(J. C. Hepburn)。それに抗って日本人による日本人のための和英辞典を目指した井上十吉。逆に日本人臭さの一掃に挑戦した竹原常太。日本の文化を発信するための辞典を標榜した斎藤秀三郎。どの辞書も隅の棚でほこりにまみれていたが、前書きのページを開くと、英学に殉じた先学たちの情念が匂い立ち、自ら日本語と英語の接点を追い求めた辞書編者としての矜持を感じ取ることができた。
「野村先生は幸運ですよ」。和英辞典の編集が終わりに差し掛かった頃、辞書経験が長い編集プロダクションの社長に言われた言葉だ。私自身、新しく辞書を作ろうという気概と体力のある出版社が限られてきているこの時代に、英和辞典に続いて和英辞典まで責任者の一人として携わることができた運命を有り難く思う。不遜をお許し頂けるなら、幕末に始まる英学徒の末席に列することができた名誉を誇らしく思う。
2021年4月12日
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野村恵造
京都府出身。京都大学卒業、大阪大学大学院修了。大阪大学専任講師、東京外国語大学准教授などを経て、現在は東京女子大学教授。専門は英語学。『オーレックス英和辞典』『コアレックス英和辞典』『オーレックス和英辞典』(以上、編者)、『リーダーズ英和中辞典』(監修)、『リーダーズ英和辞典』(執筆)、『Vision Quest』(高校検定教科書、編集代表)、『ジョンブルとアンクルサム』(単著)、『英語のスタイル』(共著)、『言葉にこだわるイギリス社会』(共訳)など。