辞典の魅力!【じてん・の・みりょく・!】

  • 人間が作る辞書

    先日、オンライン書店で買った三冊の辞書が家に届いた。いずれも最近改版された国語辞書の紙版だ。その中の一番「若い」辞書はすでに第三版で、後の二点はもう第八版になっていた。若いほうの初版は2002年だったので、デジタル時代に誕生している。老舗の二つは、活字と紙が主流だった昭和時代に生まれた。

    私も昭和生まれだが、今はデジタル時代に生きている。コロナまでは通勤時間が長くカフェなどで仕事をすることも多かったので、紙の辞書は好きでもなかなか使えず、スマホの辞書アプリやサブスクしているオンライン辞書など、デジタル媒体の辞書に頼っていた。在宅勤務になって久しぶりに紙の辞書をゆっくり読めるようになったことはコロナ不幸における唯一の幸いかもしれない。

    三冊の序文を読むと、それぞれの辞書が初版から持つ特徴を生かしながら様々な改良を施していることが分かる。新しい辞書の広告では必ず謳われる新語の追加(上の「サブスク」とか)はもちろんのこと、語義説明のブラッシュアップや文法情報の整理から二色刷りの新規採用まで、利用者の便を考える編集者たちの熱意が伺える。

    実は、私も数年前、某辞書の編集会議に参加したことがある。その辞書はまだ出版されていないので詳細は書けないが、出版社の編集者たちがいつも読者のニーズを最優先していたことは印象的だった。その会議でも、発音記号の微調整や品詞を示すマークをさらに分かりやすくするための工夫について、我々は何時間も議論した。

    辞書のアプリやサブスクしているデジタル辞書にも同じような配慮が見られるが、残念ながらもう一つの新しいツールにはあまり見られない。そのツールとは数年前から急速に発達している機械翻訳だ。確かに、センテンスやパラグラフを丸ごと英語から日本語へ、日本語からフランス語へなどと一瞬で翻訳してくれることはすごいと思う。二ヶ国語の辞書には例文はもちろんあるが、あらゆる文の訳を示せるわけではないからだ。

    しかし、機械翻訳を使ってみると腑に落ちない面もたくさんある。入力された文が曖昧で二通りの意味を持っていたとしても、そのことを教えずに一つの意味しか出力してくれない。出力された訳をどの場面で使えるか、どの場面で使ったら失礼に聞こえるかなどもどこにも表示されない。普通の辞書ではまず見られないようなとんでもない誤訳も珍しくない。

    機械翻訳はコンピューターの人工知能で動くので仕方がないかもしれないが、機械翻訳を使うのは人間なので利用者への配慮がもっと欲しい。その意味で、紙媒体でもデジタル媒体でも、人間の編集者が人間の利用者のために作った辞書がやっぱり良い。

    2021年3月1日

  • 大学院総合文化研究科・教養学部教授 トム・ガリー(Tom Gally)

    トム・ガリー
    (Tom Gally)

    1957年、米国カリフォルニア州パサデナ市に生まれる。カリフォルニア大学サンタバーバラ校言語学専攻卒業後、シカゴ大学大学院で言語学と数学の両修士課程を修了。1983年の来日後、日本語の勉強を始める。1986年から2005年までは和英翻訳、英文コピーライティング、辞書編集などを本業にする。著書は『Reading Japanese with a Smile』、『英語のあや』など。訳書は『英語で楽しむ寺田寅彦』など。主な辞書は『研究社新和英大辞典』、『研究社英語の数量表現辞典』など。2005年以降は東京大学に常勤教員。
    現在は、大学院総合文化研究科・教養学部教授。